就活ファッションというのはですね。
FBで見てびっくりしたもの。
秋田・国際教養大学が「うちの学生はリクルートスーツ着ません」宣言 すでに企業も了解済
ちょっと前に東洋経済あたりが、黒リクスーを着ないやつは内定なんかとれん、という内容の記事を書いてて、心の底からアホかと思ったのですが、それをはまた違う驚きサプライジング。
国際教養大学と言えば、留学必須、英語で授業のグローバルな大学。秋田にあるのに東京のいいとこ、有名な会社にバンバン就職する。
そんな注目の大学が、就活の時に自校の学生にリクスーなんか着るなと言い、採用実績のある会社にノーリクスーでよい旨を了解してもらったということ。
しかもリクスーじゃなくて良い、と言っただけでなく、その会社の人がきているような、ビジネスの装いで行くようちゃんと言ってる。ここがなければ完全誤解を招くところだけど、これがあったから、ただ単に無法の私服になることなく、履き違える人も少ないだろうし、非常に好感を持ちました。
この試み自体は非常に面白いなと思っています。その後どうなるのか、好奇心がくすぐられますよね。
問題にしたいのは…日本での服装の意味の方。
この記事に企業関係者の声として紹介されてるのが、就活の時期が夏にずれたことを受けて、
面接側はクールビズでシャツにノータイなのに、学生がスーツにネクタイでは気まずい、と。
気まずいってなんね、気まずいって。
服はおしゃれ以前にみだしなみであり、コミュニケーション。相手の方に好感を与える、というよりは不快感を与えず、敬意を払う服装をすべきというのは当然至極のこと。
学生は普段ドレスコードを求められないから、大抵いきなりビジネスライクな装いはできない。ビジネスカジュアルって超ハードル高いことなんですよ。そもそもアイテムがないし。
だからこそネクタイをしてスーツで決めて、という正装をすることが、面接官への敬意になる。
その敬意に対して気まずいって何ですかという話。気まずさがあるということは、自分も本来そうすべきという意識がうっすらとでも存在するということですよね。でもそうしなくていいですよ、という声があるから流されている。
クールビズって考えた人は、本当に大きな功罪を背負っていると思う。というか日本人しか考え得ないよね。明治の文明開化で西洋の法律も文化も表層だけすっぱ抜いて真似るからこそ、なぜそういうしきたりや決まり、意味があるのか考えてない。
スーツ文化には、西洋が歴史から引いてきた意味があるのにね。シャツは本来下着だからポケットないとかそういうこと。
アメリカ人もその気があるけど、合理的な方向に流すよね。こうすると便利だろみたいな。